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ただの日記

「少女週末旅行」をよんだ

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注意:この読書記録はネタバレを多分に含むので

    未読の場合は注意されたし。

作品の世界について

 二人の少女が崩壊した世界を旅する話。主人公たちのおじいさんの助言に従って都市の最上層を目指しているが、なぜ最上層を目指すように言ったのか、また世界がなぜ荒廃してしまったのかも謎。第5巻においておじいさんが、過去のことを忘れないために知識の積み重ねがあるというのに繰り返してしまうのか、とぼやいていることから過去の起こった何かしらが繰り返されて都市の崩壊に至ったと考えられる。さらに、おじいさんは任務で出向いた先々で本を回収していた、というのでこの「繰り返された何か」が起こる以前からすでに世界は崩壊に向かっていたのかも。

登場人物について

 主人公たちは旅の先々で様々な登場人物に遭遇する。各人物が極めて人間的な特徴を持っている。例えば地図をつくりながら 街を歩き回るカナザワは人間の探究心・冒険心の象徴のように思えるし、対岸の大陸に飛ぶための飛行機を作っているイシイは創造性を象徴しているように思える。どのように考えるかは読者の自由なので、他の人物についてもぜひ自分で考察してみてほしいが、僕は自立機械ー>共感、基幹塔管理用人工知能ー>社会性といったような感じで対応しているように思えた。(今後変わるかもしれない。そしてヌコの役割が正直自分の中であまり整理できていない)

生命をもつことについて

 「生命とは何か」というのはこの作品の中でも重要なテーマとなっている。そして外部からの干渉の少ない荒廃した都市は、こういったことを考えるのに最適なセットだと思う。

 「食べるー>移動するー>寝るー>食べるー>移動するー>寝るー>・・・・」というループが一体なにを生み出すのか、行き着く先に何があるのかという問を主人公たちは度々考える。結果として、問の答えはあまりにささやかではあったが、主人公たちは生きるためのループを回していたことに満足できたようである。

 旅の途中で主人公たちは生命について「生命=終わりがあること」と定義する。物語終盤では旅で得たものを失っていき、まさしく終わりに近づいていき、都市と一体になったような感覚を味わうことになる。何を意味しているのだろうか。主人公たちが生命を持っていたことは確かだが、それと同じように都市も生命を持っていたのかもしれない。

 参考資料

「つくみず:著 『少女週末旅行』 新潮社 2018/03/15」